題: 御言葉を宣べ伝えなさい
序)
本年、戸畑高峰教会に与えられている御言葉は、テモテへの手紙二4章2節のみことばです。ご一緒にお読みいたしましょう。「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです」
この御言葉は、昨年11月に開かれましたオルフォード説教セミナーにおいて何度も語られた御言葉でした。説教セミナーですから「御言葉を宣べ伝えなさい」というのは当たり前のことように思いますが、その時に、私は強烈に御言葉そのものを伝えて行く問い琴の大切さと、自分自身の足りなさい、というものを示されました。それは、自分が伝道者であるから、職業として御言葉を宣べ伝えるということではなくて、クリスチャンとして現代社会に対する挑戦として、神の国を宣言する、いわば世界に立ち向かうクリスチャンの使命ということを示されたからです。クリスチャンである皆さんは、この使命に生きる責任があります。それは素晴らしい恵みの特権です。
そのために、この御言葉を宣べ伝える、ということについてT.クリスチャンの使命ということとU.御言葉を宣べ伝える準備、という二つのことを聞いてまいります。
T.クリスチャンの使命
5節に「しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい」これまで、私が礼拝説教をする上で最も勘違いをしていたことは、みことばを説き明かすということは、相手に分かりやすく話して、受け入れてもらえるようにすることだと考えていました。しかし、オルフォード説教セミナーに参加して知ったことは、みことばを受け入れるかどうかは、その人本人の問題だ、ということでした。説教者が御言葉を説き明かすということは、相手に分かりやすく話すことは当然のことですが、それによって、神さまの御心を伝える、ということでした。神さまは、このように思っておられ、このように命じておられる、ということです。聖書を読んでいきますと、神さまが人と相談なさる、という個所はありません。神さまが、アブラハムに、「わたしの示すに行ってほしいんだけど、どう思う?」とはお尋ねになりません。そのようにではなくて、「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしの示す地に行きなさい」「行きなさい」命令です。行くか行かないか、はアブラハムの信仰ですが、神さまの命令ははっきりしています。従うことが祝福です。そうしてアブラハムは、選び出されて、神さまの救いの計画が成就するための大切な働きをすることになります。アブラハムにとっては故郷にとどまることは安心です。行先も知らないで出て行くなんて無謀なことのように思います。それでも、神さまのご命令ですから従いました。これが、聖書が一貫して、私たちに対して告げていることです。神さまが命令をなさいます。それに、答えて立ち上がった人たちが、神さまの計画を成就してきた、ということです。
学校で「冬休みの宿題を出します。三学期の初めに提出してください。」と言われて、やってもやらなくても良い、というわけにはいきません。私は大の苦手でほとんど宿題をしていった記憶がありませんが、それはとても苦い記憶です。クリスチャンになっても宿題が出るのか、だったら考え直そう、と思うかもしれませんね。でも、宿題嫌いの私が言うのです。神さまの命令は、祝福の命令です。人の思いをはるかに超えた素晴らしい祝福、約束の地が待っています。それは命令通りに歩み出すならば必ず与えられる祝福です。みことばを宣べ伝える、ということは、この神さまのご命令を宣言することです。神さまの御心は、こうです。あなたに、こうしなさい、と命じておられます。今までの歩みではなく、新しい歩みを始めるのです。と。そのように歩むことを神さまご自身が忍耐強く、待っておられる。私たちが、罪の闇から、救いの光の中へと方向転換して喜びの人生を歩むようにと、ご自身が御子をお遣わしになって、十字架に付けられた。神様ご自身がもっとも苦しい決断を、私たちのためにしてくださった。御子イエスさまが、神さまの御心に従って、ご自身の思いではなく、神さまに従われた。そこにキリスト教の恵みがあふれています。ですから、私たちは、この恵みを伝えないわけにはいかないのです。この世が間違っています。その行き着くところは滅びです。十字架と復活のイエスさま以外に救いはないのです。
U.御言葉を宣べ伝える方法
第一のこととして、みことばを宣べ伝えなさい、ということ自体が命令であって、この命令に生きることがクリスチャンの使命であることを御言葉に聞きました。第二のことは、どのように歩んだら、そのご命令に従っていることになるのか、ということです。
「折りが良くても悪くても」「忍耐強く、十分に」とみことばは命じています。みことばを宣べ伝える、ということは言葉の巧みさや話の上手、下手、ということとは何の関係もありません。みことばが示していることは、忠実さ、ということです。
オルフォード説教セミナーで強調されたことは、聖書は66巻ある。すべて神の言葉だから、全巻から説教をするように、ということでした。そして、そのために、一年で66巻から説教するように計画を立てなさい、と言われました。勿論、一年は53週くらいですから、礼拝だけではなく、祈祷会なども含まれるのだと思いますが、高峰教会では、毎月第一主日の礼拝では詩編を開き続けています。ですから、それだけで残りの礼拝は40回くらいになります。夏の時期になりますと黙示録を8週前後まとめて開いています。そのように考えますと、一年で66巻をすべて開くことは難しいことです、ので、2年で66巻をすべて開くように、計画を立てました。もう2年分の礼拝の聖書箇所を決めました。勿論、その時で変更されることが起こるかもしれませんが、とにかく2年ですべての箇所を開きます。また、準備に関しても、これまでは金曜日と土曜日に準備をしておりましたが、これを月曜日と火曜日にするように計画を立てています。最も、1月、2月は月曜日にほとんど福岡を中心に出かけておりますから、準備の日程もそれに合わせて変えております。なぜ、そのように早目に準備をするのか、と言いますと、それは、準備した説教を自分で生活して、それから語りなさい、ということでした。自分が御言葉に生きていなければ、本当のことはお話しすることができませんし、自分を棚に上げてしまうと、それは律法的になるだろうと思います。自分が生きてみると、御言葉の素晴らしさだけが残ります。神さまの愛があふれてきます。みことばを生きる、ということはそういうことです。
私は、今年、神さまが戸畑高峰教会に告げている命令をお伝えしていきます。後は皆さんが、その命令をご自分に語られていることと信じて受け止めて従われることです。そうすれば、素晴らしいことが教会に起こると信じています。人間の知恵や自分に都合の良いことだけを考えていたら、何も起こらないでしょうが、神さまのご命令に従うなら、それは祝福に溢れています。どんな祝福がまっているのか、行先はわかりませんが、行き着くところが約束の地です。神さまの祝福に従って歩んでまいりましょう。
一斉祈祷
<祈祷>
愛である神さま。
2020年を新しい御言葉をもって導いてくださいますから感謝いたします。あなたのご命令をいただきました。あなたに従います。一つ一つのことを通して、悟りの鈍い者にも、祝福の世界を教えてください。従う喜びを経験させてください。そして、戸畑高峰教会と、共に集う兄弟姉妹方が、輝いて、北九州で恵みに溢れ、喜び溢れた存在として輝きわたることができるように導いてください。あなたの導きと祝福を感謝いたします。
尊き主、イエス・キリストさまのお名前によってお祈りいたします。 アーメン。